Naganegi業無報告 2023年6月
- 長ネギさん太郎
- 2023年7月11日
- 読了時間: 4分

横浜ガンダム、すごい!
潮風をものともせず歩を進めるガンダムに「モビルスーツって目の前で動いたらこんなに怖いの!?」というか、もはやそういう恐怖感を通り越して神性まで感じるほどだった。
あと、自分はこの横浜ガンダムのパネルラインの多いデザインが、79年当時の時点ですでに完成されたものに対して「古臭いデザインを今風にリファインしてやるぜw」みたいな傲慢さを感じて苦手だったのだが、等身大のそれを目の当たりにして、「これはアニメに出てきたロボットではなく、『工業製品』としてのガンダムなんだ」という本質を理解し、今ではとても大好きなデザインになった。
(補足するとこのガンダムは、地球連邦の施設から見つかったRX-78シリーズの部品を基に作られた「RX-78F00」という機体、って設定があります)
何より衝撃だったのは、このガンダムの製作に携わった人の多くが「今回は未完成品」「次に向けたステップ」という姿勢であった、ということだ。
「今回のガンダムは腰の部分から支柱で固定されており(あくまで『建物』の一部として作られており、固定して倒れないようにしなければならない)、その支柱が載った台車の前後や関節の動きで疑似的に歩いているように見せている」「そもそも巨大な二足歩行ロボットを地上で歩かせようという発想に無理がある」などの問題点に触れながら、自分たちが(あるいは次の若い世代が)これらの問題を解決し真の二足歩行ガンダムを作り上げるため、尚も研究を重ねているのである。
現代人は何かと成果を急ぎすぎているのかもしれないが、焦らずに一歩一歩「段階を踏むこと」の大切さ、そして「今の世代だけでは完成しない、次の世代へ受け継がれてゆくことで洗練されていく」ものづくりの奥深さを、ガンダムを通して感じた。
「次はだれが、どんな等身大ガンダムを見せてくれるのだろう?」みたいな月並みな感想を抱きながら、明日からの自宅警備に向けた帰路へつくのであった。


最近は、何をするにも「これをやるとどれだけ時間がかかって、どれだけ疲れるんだろう?」とか「これをやることって、本当に自分のためになるのか?」というようなことばかり考えてしまう。一番なりたくないタイプの大人になってしまった。
最近ふと、自分が幼い頃に抱いていた根源的な楽しみというか、無邪気に何かに熱量を捧げてきた頃のことを思い出す。
その時は将来のこととか無為に時間が過ぎていくことだとかも考えず、ただ「楽しい!」という感情のままに行動していた。
その若さゆえの直情が災いを引き起こすことだってあるだろう、だからその頃が正しくて今はダメな大人になってしまった、という話ではない。
ただ、テレビをつければ自分と同年代が活躍している、それどころか今や仮面ライダーすら自分より年下だ。
彼らは努力している、才能がある。しかしそれだけではない。『熱量』がある。
その熱は、確かに自分が持っていたはずのものなんだ。だけど何処かに落としてしまった。
ネットでこうして活動していると、ふと落ち込むことがある。
「自分がどれだけ注目されているか」が可視化され、しかもそれが他人と比較されるのだ。嫌でも気に病むことはあるだろう。
自分は誰にも見られていない、と思い込む。
今だってそうだ。tweetのインプレッション数(閲覧数)はフォロワーの10分の1以下、このブログだって閲覧数が10もいけばいい方だろう。
過去にも、こういったことをマイナスな言葉に載せてtweetし、フォロワーに迷惑をかけたこともあった。
今もどうせ誰にも見られていないし、好きなことを書いてもいいんじゃないか?
政治家やギョーカイ人への批判?あるいはドぎつい下ネタでも書いてやろうか。
でも、それはしたくない。
便所の落書き以下の存在でも、ある程度の善性にすがっていたいのだ。
そして改めて自分が熱を捧げられる物を見つけ、俺が死んだ後にでもその熱をもって足掻いた様を見て誰かが何かを感じてくれたら、それだけでいいんじゃないか、と思うのだ。
皆きっと「何者かになりたい」と願っている。しかし実際何者かになれるのはごくごく一部。
じゃあ「何者かになれなかった」人間の人生は無駄なのか?
いや、無駄ではないと信じたい。
成果も残していないただの過程など評価のしようもないかもしれない。でも、自分だけはそれを肯定したいと思うのだ。
長ネギさん太郎
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